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y1143 ミステリー島


古老の話によると、昔、東南アジアや中国と直接交易し、アンナ村跡はベトナムのアンナンからの移住者村で、方言はベトナムとリンクしている、との事だが、本当かな?
島に人口が溢れ、繁栄していたと言う事は、マルコポーロの東方見聞録、黄金島、ジバングはこの島の事かな?
ロマン溢れる、ミステリー島だ!
縄算***前回紹介した住民登録台帳、これと同じような形をした、そろばんとは違う、この島独特の計算機が、あったという。
島の人はそれを、縄算と呼んでいたそうだ。
古老に聞いても、現物があったことは知っているが、なかなか原理まで覚えてる人はいない。
旧暦9月、暦上は10月であるが、それぞれの御嶽に集まり、願い事をする。
50数年ぶりではあったが、顔を出すと、年寄り達がびっくりしていた。
その時、出された食べ物であるが、横長のクッキーの形をした物に見覚えがあり、聞いてみると、島の人でこれを知らない人はいない。やはりお前は島ナイチャーかと言われる。
よく見ると、細い横長の中ほどに2本ほど線が入り、すだれのように、縦に筋が入っている。
このクッキー状の物、それが縄算の計算機を形どっているという。
それを食べ、より頭が良くなり、健康であって欲しい。
必ず9月の神事には、各家庭で、妙なクッキーを作るという。
その日も、いっぱい食べれば頭が良くなるさー、いっぱいいっぱい食べれ!、と。
これがまた、都会では味わえない珍味中の珍味で、桁違いに頭が良くなったように感じるから不思議だ。
子供の頃、母親に手伝わされ、作った記憶が蘇ってきた。
それにしても、縄算なる、計算機と原理、解明したいものである。
この頭の良くなるクッキー、メーカーが見ると製品化、飛ぶように売れる事、間違いなし!!
バレンタイン商品をはるかに凌ぐ商品開発になるだろう。
受験シーズン、入学祝など、殺到する事、間違いなし。
ひかるが菓子業界に居れば、間違いなくとんでもない商品開発をするだろう。
いつものように、海辺の休憩所の横で、一服しながら真っ赤な夕陽を眺めていた。
潮時は満潮で、砂浜にも珍しく観光客の姿は無かった。
すると、二十代後半と思われる女の子が、自転車で来るなり、私の存在も気ずかず、そのまま砂浜へ降りて行った。
波打ち際で止まるかと思ったのだが、その子はそのまま海の中へ、ブスブスと直っしぐらに歩き出した。
途中で止まるかと思うと、その子はさらに深い所へ、止まる事を知らない。
ありゃありゃ、入水自殺か?
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y1142 大量出土


この島で、妙な貝が、大量に出土した。巻貝ではあるが、大きさがサザエの数倍あり、ホラガイとはまた違う、形そのものは、サザエオバケみたいな貝だ。
ところがその貝には、どうしても人工的としか思えない、穴が一つ空いている。
この貝はひかるが子供の頃、60年前には一度も見たことがない。
古老に聞くと、自分もその貝を見たことも、食した事もないという。
しかし、大量に出土したということは、100年、いや200年前、この貝はこの島の周りに、大量にいたと思われる。
シャコ貝と同じぐらいの出土量があるから、かなり生息していたと思われる。
シャコ貝は60年前、足の踏み場もないくらいリーフやリーフの上にはおり、この貝だけは誰も見たことがない。
疑問は、人工的に開けられたと思われる穴だ。
穴のことを古老に聞くと、話には聞いたことがある。
貝に穴を開け、石にゆわえ付け、海中に放牧?していたという。
目の前は太平洋、魚介類はいくらでも採れるのに、恐るべし、いにしえのこの島人は養殖方式を採用していたのだ。小さな貝はなくほとんど大きさが統一されている。
昔は、電気や冷蔵庫もなかったので、祝い事や大事なお客をもてなすとき、放牧?していた、貝をとって来、目の前で、新鮮な料理でもてなしたという。
なるほど、と感心した。
いにしえの島の人たちは、海で貝を放牧?し、必要な時に必要な量、新鮮な料理をし、心豊かに味わっていたのだな。
私も閃いた。
今度は、シャコ貝に、ドリルで穴を開け、テグスで石にゆわえ、必要な時だけ、新鮮なシャコ貝を食べよう。
南の島、夕陽を眺め、新鮮なシャコ貝、貝柱、泡盛を片手に、至福の時間だ !
調べたら、この貝は学名、夜光貝で、太古の昔、中国王朝の漆器などに使われ、とんでもない高価で取引されていたと言う。
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夜光貝。

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y1140 不思議島


沖縄本島から、南へ450キロ、日本の最南端は波照間島であるが、その手前に、ものの見事なハートの形をした、黒島がある。
この島は、1771年、明和の大津波以前、あふれんばかりの人がおり、一大文化を謳歌していた。
山も川も無い、周囲12キロの小さな島だが、島を取り巻くように、南半分、8キロにわたる、グレートバリアリーフに匹敵する、見事なサンゴ礁がある。
そこからは、素潜りで大量の魚がつかみ取り出来、それで島の人たちは、豊かな生活をしていたようだ。
しかし、この島には、紙と文字という文化はなかった為、今では歴史に跡を残す事なく、殆んど知られない存在となってしまった。
写真の、しめ縄を小さくしたようなものだが、これは何かというと、この島で使われていた、住民台帳だとの事だ。
縄から、ひげの如く出ているもの、それによって、家族の人数や大人、子供などの情報が、全て入っているとの事だ。
また、同じしめ縄のような形で、島の1軒1軒の地図が、表現されていたという。
さらに驚くのは、この縄から飛び出している髭の長短、太さ、小さな縄状物によって、計算の繰上げ、繰り下げが出来、今で言うと、超ハイテクコンピューター並があったという。
日本や中国ではそろばんがあったかもしれない。この島の人達はそろばんではなく、とんでもないものを使っていたようだ。
現在のコンピューターは、パルスの有るか無しかで基本原理が出来ているが、パルスの長短、太さ、色分けをしていくと、超、超コンピューターが出来るであろう。
遥か昔に、日本の南の島で、高度な文化を誇った人達がいたのだ。
この島の文化が、何んで日本の歴史にないのか、非常に不思議であるが、いうなれば、日本のインカ帝国と言ってもいいのではないだろうか。
沖縄の民謡に興味がある人なら、黒島口説、チンダラ節、アブジャーマ等、聞いたことがあるかと思うが、この島の民謡で、紙では残せない音楽、昔の人が残した痕跡だ。
黒島口説は、マイクのない昔、祭りで大勢を前に、曲の半分を大きな声で歌いながら踊るという、今のカラオケの原点が百年以上も昔に誕生していたのだ。
こんな民謡、どこにも無いであろう。
120もの島からなる沖縄県、たった周囲12キロ、現在の人口二百数十人の島から県を代表する音楽が出ている、という事は、とんでもない音楽のDNAを持った人種である事は間違いない。
島見聞録、これから島の古老たちの話を交え、立ち上げていきたいと思います。
お楽しみに・・・・
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島の住民台帳。

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y1138 喉輪


絶滅危惧種で、天然記念物イリオモテ山猫は西表島にしかいないが、実は石垣島にもいたと言う説もあるが、この黒島にも60年前頃まで生息していた。
黒島でこの山猫を見た人は最近他界したので今ではひかる只一人しかいなくなった。
この山猫は普通の野良猫と比べ、顔がまん丸くてシッポが太くて短い、足も短い、いわゆる短足ずんぐり型だ。
顔が丸いのは顎の筋肉がかなり付いているのだろう。足が短いのもかなり筋肉が付いているせいで短く感じられるのだろう。
運動能力は通常の猫の域をはるかに越えている。
まずは完璧な夜行性、真っ暗い夜、眼光がものの見事な黄金のビームを発する。50メータ先でも確認できる。消えたかと思うと、こちらの動きや声で別の所から黄金のビームを発する。
また獲物を捕る時の動作が見事だ。
島のニワトリはこの猫のためか、桑の木の枝で寝る。観察するとある程度風があり、木の葉の音がワサワサし、多少しなっているタイミングを狙う。助走から一気に桑の木を四本の足で抱くようにスラスラっと掛け登り、飛びつき、まずは鳥の喉輪を瞬時に噛み砕く。鳥は声を出す間もない。
風で枝はしなったりしているので、他の鳥たちは気が付かない。
くわえたまま落ちるが、猫は四本の足で見事着地。鳥は地面へ叩きつけられる。
もし瞬時に喉輪を噛み砕き損ねた場合、鳥の足が猫の足を掴めば、四本足での着地は出来ず、地面へ叩き付けられ、一巻の終わりでしょう。
風や葉音、しなり具合の読み、瞬時に喉輪を噛み砕くなど、見事としか言いようがない。
また台風時には鳥たちは木の上では寝れない。獲物が簡単に手に入り、この猫がこの地域に生き延びた原因だろう。
住処も重要だが、この地区にはアダンの木がある。アダンは横に延び、途中より気根を地面へ次々と下ろし這っていく。数十センチ高さの奥は絶好の要塞で他の動物は絶対に入り込めない。昼間は安心して寝れるのである。
ひかるは古代から生き延びるこの猫の狩りから、一番大事な事を教えられた。
時代の風向きや自分のおかれている状況等を慎重に読み、ネックの喉輪を瞬時に噛み砕く手法だ。
人生では千差万別だろうが、必ずといっていい程問題があるはずだ。慎重に読み、どのタイミングで瞬時に喉輪を噛み砕くかだ。
自分は今動けるのか、親の状況や有る無し、兄弟の問題、家族に病人が有るか等の読み、飛びつくタイミングはずれていないか等が重要だ。
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y1137 思考配分


また思考配分をした生き方をすると、チャンスが間違いなく時系列で捉えられ、その時の流れや風向き、風色など、一気に喉輪を噛み砕く手法が採れる、といえる。
配分思考、なんて初めて聞く言葉でしょうし、学校でも教えてくれない、がしかし騙されたと思い、頭へ叩き込み実行して間違いない、人生最良のチャンス獲得思考だと言えるでしょう。
十人十色、チャンスもまた十人十色で違います。己の脳、波長に合ったチャンスを捕らえる。
それには、配分思考を常に心がけ、好奇心を絶やさない。その二本柱の元に前もってチャンスを見据える、そこから間違いのない決断が生まれ、実行力へと繋がる。そして結果が出るのだ。
多くの人が夢を諦めるな、と説くがこの夢がこまったものだ。寝て見るうつつのゆめと己の希望なる夢が同じ字で、子供たちに混乱を招く。
時の総理が沖縄の基地問題などたちどころに解決してみせる、殿下の宝刀、腹案があると言って印籠をちらつかせ、結果幻のゆめであった。挙げ句の果てが、国民が聞く耳を持たなくなっただと・・・
もしかして母親がゆめ枕に出、ささやいたのではと笑ってしまう話だが、国権の長としてあるまじき行為であるが、現実の夢とうつつのゆめが区別されていないのではないだろうか。
教育の間違い、外国から日本人が曖昧だ、といわれる原点は感情の区別が出来ないところにあるのではないだろうか。
議員の皆さん、寝てみるゆめと、しっかり未来を見据えてみる夢、この字に区別を付けてほしい。
話はそれたが、よき決断を出すには人それぞれの考え方や見方で大きな違いが出る。
貴方の決断、熟慮を願うのみである。
ひかるは生まれた島へ舞い戻った。
島には時が見放したのか、時を見放したのか、のんびりした古老達がいる。
TV界で40年間番組を作り続けたひかるとの会話など、面白エッセイ、南島見聞録を発信します。
引き続き、お楽しみください・・
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y1136 時代背景


昭和30年代、集団就職で沖縄から大勢の人が本土の工場へ寮生活でなだれ込んだ。
数年もすると飛び出すが、身よりもなく親の援助や庇護もない。
世の厳しさに負け、犯罪をおかす人も出る。
ニュースで名字から沖縄出身者であることは判明する。
沖縄出身者は犯罪者的な偏見が漂っていたのだ。
ひかるはパスポート時代に結婚。単なる反対ではなくこのような時代背景もあり、塩をまくだけではなく、警察を呼ぶ、と喚かれたことがあった。
何もなくても、その内事件を起こすだろう、と見られていたようだ。
先日沖縄の会合へ出ると演壇の挨拶者が昔の偏見話を持ち出し、沖縄出身者には大家が部屋を貸さない風潮で、心底悔しい思いをした・・・衣食住に事を欠いた、等々話をし、大泣きで挨拶を終えたが、年輩者が頷きもらい泣き、ひかるに同調を求めてきたが、過去よりもこれから前向きに生きようよ! といってやった。
当時アパートには沖縄出身者入居お断りの看板が結構あった事は事実である。
今時の若者、ひかるから見るとあまりにも恵まれすぎている。
チャンスは日夜降り注いでいるのに、このチャンスを捉えきれない、見過ごしているのではないだろうか。
チャンスの女神、何度かそっぽを向かれると、遠ざかっていく。
しからば確実にチャンスを捉える方法はないのか?、と考えると、思考配分をキッチリ出来れば、可能である、とひかるは言う。
ひかる論、3年先に30パーセント、5年先に20パーセント、現状に50パーセントの思考配分、エネルギー投資配分を常にするべきだ、と主張する。
確かに今日、明日の現状も疎かにすべきではないが、足下ばかりに気をとられていると、いきなり山が立ちはだかったり、谷や川がたちはだかる。
3年、5年先の目標を見、思考配分すると、草原の一本道を歩むが如く、山や川も確認でき、山登りの準備も出来、川は水量の一番少ない時期にタイミングをとり渡ることも出来るというもんだ。
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y1135 彫刻刀


人体にとって、血液は酸素やビタミンを運び調節、無くてはならない重要な役割を果たす事はいうまでもないが、人生においては、その役目を好奇心が果たすのではないだろうか。
好奇心があるからこそ、知恵が湧きだし工夫もするし、トライも出来、幸せも湧き出る。
小学校時、貧しくてクレヨンが買えない、がしかしじっとしていなかった。
ふしん場を周り釘を見つけてくる。五寸釘は最高で、硬い木に打ちつけ、頭を火にくべ、トンカチで叩き、砥石で研ぐと色々な形の彫刻刀が出来る。
カエルやハト、面や仏像など彫りまくる。
デイゴの木は枯れると硬いが、生の状態は柔らかい。
石膏代わりに使えるのだ。メガネの木なるものがあるが、その木を切って自分の骨格に合わせ、自作の水中メガネ、ゴーグルを作る。
三角や四角いガラスを根気よくコソギ、丸くして取り付ける。
ヤラブの木の根に傷を付けると、蝋状の樹液が出る、それをガラスの隙間へつめる。
子供は骨格が毎年変わるので作り替えるのである。
ちなみに最初は竹で作ったが具合が悪いのでユナーの木で作った、水中メガネ発祥はこの島だと古老が言っていたが、定かでない。
最初は生芋で作ったそうだが、かろうじて一日しか使えなかったといっていた。
ひかるはかすかなチャンスを確実に生かしてきた、といえるのではないだろうか。
高校は叔父さん叔母さんのたらい回し世話でやっと出る。
当然就職するところを上京のチャンスを得る。
会社選び、周りは金に目がくらみ、条件のいい会社へいくが、ひかるはテレビ界を選ぶ。
しばらくは泣かず飛ばずの窓外族を決め込む。沖縄が本土復帰をし、パスポートを焼き捨てるとひかるは豹変したが、そこには訳があった。
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y1134 簿記


石垣島の高校に理系コースはなく、ひかるは商業コースで簿記やそろばんを習い、上京後たった二年間夜学の理系専門コースを出、局入り。
昼間は重労働のため、勉強もままならない。
入社時、専門知識は同期の連中に比べれば雲泥の差で、かなり出遅れていたため、情報最先端のシステムは驚きの連続でしたが、好奇心の固まりのひかるにとって最高の場でした。
父の言った、思った通りやればいい、これは生涯ひかるの座右の銘、となった。
進路や会社選び、仕事の上、結婚など、誰にも相談することなく、存分に思った通りを貫いた。
おそらく、このブログを見ている人でひかるより恵まれない境遇にある人は皆無でしょう。
かすかなチャンスを確実に生かす。後へは引けない境遇が効を奏したといえるでしょう。
そう、島育ちの子供は15才で親の傘下を出、親離れする。
親の庇護から外れるという事は、辛酸を舐める事になるが、この人生の第一関門をどう乗り切るかがその先を大きく左右する。
二十代、それは人生のチャージをする時期です。
タケシも泣かず飛ばずの二十代があったし、テリーも書いた通りで、ひかるも同期にズルズル置いてけぼり。
ちょっとしたチャンスで豹変していったのである。
経験からして、人生で一番大事なのは好奇心ではないかと思います。
よく夢を諦めない・・なんて言われますが、むしろ何でもかんでも好奇心をもってあの手この手でトライし続ける事が大事だ。
死ぬまで好奇心を絶やすな!
ひかるがメディア先進国アメリカをギャフンといわせたい。
そして出来たと自負。クイズやワイドショーなどスタジオ中心時、ロケの映像を全国のお茶の間へ流せばどんな変化があるのかテレビがどう変わるのか、好奇心の延長線だった。
ランプで育ったひかるは入社早々局の心臓部テレシネマスター職場へ配属、そこは送信システム、膨大な送出機材、放送直前の素材管理、30局のローカル制御、衛星回線制御システムなど情報の最先端。
高校は地元に理系がないため商業コース出、目を見張るどころではない。
しかし寸暇を惜しんでラックの裏へ潜り込む。スタジオのラック裏、中継車のラック裏などすべて解明。旺盛な好奇心を満たす絶好の場であった。
後にひかるは中継車を自作、その中継車で生放送までやってのける。情報番組、渡辺浩之司会、正義の味方はひかる自作機放送番組であった。
キー局はネット問題、巨額のスポンサー費等を考えると、VTRやローカル番組は別とし、まず自作機の使用は認めないであろう。キー局の歴史に自作中継車生放送番組の項目があれば、たった一人ひかるの名前が載るであろう。
一時、ダンプ松本などの女子プロレスがはやった時期があったが、その時も裏方としてひかるの存在があった。内容的には中継車を持ち込む状態だったが、そうなると会場等で制約を受ける。
ひかるは映像システムをコンポーネント化しその都度ホールの隅で組み上げ、バラすシステムを作り上げたのである。システムエラーで番組に穴が開けば膨大なペナルティーを要求される。
今なら簡単に出来るが、当時は大きなリスクを伴う手法を実行できる人はいなかった。
女子プロレス番組を見た人なら、当時他の番組にはないリアリティーにとんだ番組であったことわかるであろう。番組制作費をかなり安く出来たのも当然だった。
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