1092 サンゴの花 [恋愛・結婚]
親サンゴは、動く事出来ず、自分の産んだ卵が、生き延びているのか、生死すら確認する事叶わず、2度と会う事も出来ず、ただひたすら、子の無事を祈るだけ。
私たちに、生き延びる厳しさを教えてくれ、まかり間違っても、殺めないで欲しい、と叫ぶ、親サンゴの願いが届くはず。
そしてサンゴの産卵、潮の流れが風となる、命の舞。
一度見ると、サンゴに対する愛着と理解が、一層深まるのではないだろうか。
また、黒島のサンゴに囲まれた海面下、1メートル前後の岩に、ある日忽然と、直径十数センチくらいの、岩の付け根が薄い茶色、花自体は、濃赤色のシャクナゲに似た花が咲きます。
薄くて、ゼラチン状の、ぬるっとした肌触りで、あまりにも薄く、潮流があると破れてしまい、咲く事は出来ません。
台風が綺麗に洗い流した後、潮流が殆んどない、直射日光が届く場所。
毎年咲く訳でもなく、同じ岩に咲くのでもなく、ある海域の何処か、一輪咲くだけの不可解な岩花。
サンゴの1種かと思いきや、4、5日後には跡形もなく消滅。
サンゴとは違う、微生物の集合体ではないかと思われ、今だに訳の分らない、幻の岩花。
観光客の多い今、幻の岩花は、見られるのだろうか。
二十歳の夢***昭和39年、小さな島から出て来た青年には、成人式とて、誰も祝ってくれる人はなく、同郷の親友と二人、着飾る同年代を横目に、お金のかからない新宿御苑へ出かけ、二十歳の夢を語り合いました。
ひかるは、テレビの世界で生きて行く事を表明したのは、当然。
親友は、人に使われるのは嫌いなので、人を使う人間になる。すなわち、社長になる事を表明。
当時、沖縄出身者だと、パスポートや身元保証人問題等ハンディキャップもあり、条件の良い会社へは、なかなか就職出来ず、使われる身で、よほど悔しい思いをした事でしょう。
30年後、親友は、立派な大社長になっていました。
1091 珊瑚の産卵 [恋愛・結婚]
美しく咲き乱れるサンゴ群、実は厳しい条件で、生き延びているのです。
サンゴの育成には、年間18度以上の海水温度と、ある程度の塩分濃度、透明度が高く、太陽光が届く条件が必要です。
しかし日本の最南端、八重山地区は、地球の母なる大河、黒潮が満たしてくれます。
また、このサンゴは、紛れもなく、口も胃もある、れっきとした動物だとの事ですが、自然界に同じ形は二つとなく、段々花畑のように作られたサンゴ郡の景色を眺めるとき、人間の作り上げた日本庭園や町並み等、比較に値しない事が、歴然と感じられます。
植物の光合成は当然ですが、サンゴは、動物でありながらも光合成をする為、太陽を食べる動物。太陽の子、と呼ばれています。
光合成の結果、カルシウムの結晶で、骨格を形成して行くとの事ですが、実は年に一度、産卵をします。
普段はザラザラとした感触のサンゴが、ある時期になると、ぬるぬる状になり、臨月を迎えます。
8月初旬、満月の夜は、サンゴの産卵日でした。
物音一つしない不気味な海底、陣痛が始まり、見渡す限りのサンゴから、数千億にも及ぶ、朱色の卵が、雪が舞う如く、一斉に放卵。ゆっくり浮上する、命の舞。
動物の誕生に、これ程神秘的な世界があったのだろうか、と感動させられます。
地上の万物は、引力の影響を受けざるを得ません。
生まれたばかりの小さな命、どうやって、引力を振り切り、浮上するのだろうか。
そして、サンゴの群生する、水面2メートル前後の水温は、対流となり、横からの緩やかな潮流と交差し、縞状水温を形成。
優しく体を舐め、放卵された、無数の卵が、潮の流れになびく時、ふっと、水中に吹く風を感じさせてくれます。
暖かい南海で水着のまま感じる吹雪、生涯一度体感するのもいいのでは・・
生まれたばかりの小さな命は、浮上と同時に大空へ産声を上げ、さざ波のゆり籠に揺られての、旅立ち。
漂う卵は、殆んどが、魚の餌食になる中、万分の一個が、別な場所に辿り着き、そこを生涯の棲家とし、立派なサンゴへと成長して行く。
1089 島ザル [恋愛・結婚]
ひかるがVTR問題で仮眠の連続、死闘を繰り広げていた頃、家計は火の車であった。
食事は殆んど外食、疲れるので、たまにはビジネスホテルに泊まる事もある。
全てが会社の伝票で落とせる訳ではなく、小遣いが足りなくなると、女房が爪に火を灯して蓄えたお金を、むしり盗るように持って行く。
団地住まいで、奥様族は、週に1、2度しか帰って来ないひかるを見、
「あの男、顔に似合わず、やるわね!」
「間違いなく女がいるのよ!」と井戸端会議だ。
当然、女房の耳にもそれは届いてしまった。
そして、二人の子供を抱え、貯金は底をついていたのである。
疲れ果てて帰って来たひかるの顔を見ると、女房は爆発した。
「母子家庭なら覚悟のしようもある!」
「しかし、もうこの貧乏生活、我慢出来ない!!」とテーブルをひっくり返し、怒鳴り付けたのである。
角が出る、なんてものではない。
針千本、いや、角千本だ!
さんまもびっくり、前歯をとんがらし、今にも噛み付かんばかり、恐ろしい形相だ。
次から次、出てくる言葉は、ひかるの脳に、あらゆる角度からブス、ブスと突き刺さる。
「もう、あんたの顔を見るのも嫌だ!」
「もう、これ以上の貧乏は、嫌だ!」
「出て行け!」
「あんたなんぞ、地球の裏にあるという、貧乏王国へ行けばいい!」
「即、大統領、間違いなし!」と。
がなるだけがなって、まだ足りないのか、周りにあるものすべて叩き割り、子供を連れて実家へ帰って行ってしまった。
ひかるは、なすすべもなく、一人酒を飲むしかなかった。
翌日、どう対応すべきか、ひかるは早めに仕事を切り上げ帰ると、女房と子供達が舞い戻っていた。
どうしたのだ、と聞くと、結婚当時、猛反対した親は、手ぐすね待っていたかの如く、あの沖縄の島ザルは、最初からものにならない、躾けはなっていないし、どうしようもない男だと、ありとあらゆる悪口雑言を並べ、すぐにでも離婚すべし! と急きたてる。
人間として扱われない悪口雑言に、今度は、女房が切れた。
冗談じゃない! 曲がりなりにもコツコツ洗濯機、冷蔵庫を買い、子供達まで出来た。
何んの援助もしなかった親ではないか!
こんな所で、父親の悪口雑言を子供達に教え込まれたら、まともな子に育たない、と舞い戻って来たのである。
ひかるは、土下座をして謝った。
そして、ほんのちょっと、もう少しだけ時間をくれ。
今の放送業界、誰も気がつかない。自分がやるしかない。
などと、大言壮語、まくし立てたのである。
業界がどうのこうの・・・女房にとっては、へったくれもクソもない事だが、聞くだけ聞いてやった。
女房は、どうも貧乏神から逃がれられそうにもない、どうせなら、とことん貧乏を舐め尽くそう、と開き直ったのである。
お酒が飲みたい、と言うので、注いでやると、気持ちがほぐれたのか。
「今後は、あんたの事、貧乏王国大統領閣下と呼ばせてもらいますわ・・」
閣下様、私も、立派な大統領夫人になって見せるは! と笑顔を見せてくれたのである。
めでたし・・・めでたし・・・
勿論、ひかるは深く反省、その後、家庭を大事にしたのである。
それにしても、貧乏王国大統領、クーデターを起こすような人は、なさそうだ。
無期限任期は、辛いよう・・
野党の皆さん、お願いだ!
総理大臣を引き擦り下ろす前に、この大統領、引き擦り下ろしてくれ!!!!
1088 NASA [恋愛・結婚]
当時、可搬型VTRとして、あのNASAが軍事偵察機用に開発した、VRー3000なる機種が、国内では4,5台導入されていた。
どういう訳か、その機種が、ひかるの会社にあった。
設立時、TBSとフジテレビが折半出資、別々に確保するよりは、子会社に持たせ、両局で使用出来る、という事で、導入されたらしい。
当時は、カラーテレビが飛ぶように売れ、大企業はフィルムCMから、色再現の良い、VCM作りに軸足を移しており、このVRー3000が威力を発揮していたのである。
オペレーター一人付で、日だて15万円でも、飛ぶように注文があった。
ひかるは売れれば売れる程、早く可搬型国産機開発の必要性、反米感情が日に日に増していった。
当然、ソニーも可搬型、Hー500という機種を開発しておりフィールドテスト中だが、どうにも訳の分からない回転エラーが出る。
チェックをするとOKで、エラーの原因が、全く掴めないのだ。
事故日報をピックアップし、気になる事があったので部下にその日の天候を調べさせた。
やはり雨が降っており、それが原因だが、室内での使用でなぜ?
その事をソニーへ連絡、しばらくして原因解明OKの連絡。
湿気でテープのツルツル裏面の貼り付き現象が出ているとの事。
湿度による微妙な事でエラーが出ていたのだ。
さすがソニーで、世界中の支店へ打電し調べ上げ、湿度の一番高いのはボルネオとの事。
それ以上の湿度でも稼動するよう設計変更。Hー500は全世界へ輸出され制覇していったのである。
VRー3000と並べて使うと、桁違いの性能。これでアメリカ製VTRを抹消出来た、と。
VTRは平坦な所で、そっと置いて使う精密機械、しかしひかるはトラックの荷台に紐で結え付け移動使用、どんな地震でも稼動する事を求めたのである。ひかるが立ち上がり、オメガ方式へ切り替える事が出来た。
出来なかったらと考えると、オートスレーディング、カセット化は難しく、途中から方式変更、と言う事態になれば、莫大な費用が掛り、番組内容にも影響したであろう。
そして、一番大事な事は、日本のVTRが全世界で認められた事だ。
南端の小さな島で、ランプの灯りで育った少年の目、どこかで垣間見たカセット、いずれ放送現場でも使われるだろう、と10年先を夢に描いたのである。
1087 オメガ方式発進 [恋愛・結婚]
この昼メロが放送されるとソニーから電話、キー局がオメガ方式、大量の発注があったと歓喜の連絡が来た。
以後、あっと言う間にオメガ方式に切り変わっていったのである。
それどころか、ソニーは、海外でもその一インチを売り捲り、世界中でこのオメガ方式が統一方式となったのである。
編集システムを担当させた、ひかるの部下K君は、三越とフジテレビが折半出資、アルタスタジオを設立するとの事で、そこへ移籍させた。
今も元気で頑張っているようである。
また、K君は昼メロのヒロインと結婚。
ひかるは、上司として大勢の前で主賓挨拶。
しどろもどろで汗をかき、恥をかいて大きく成って行ったのである。
今なら書ける。***ソニーと方式問題で画策している時、フジテレビの予算執行、発注出来る立場にある、お偉さんから呼び出しを食った。
「君は、親会社、キー局にタテついて、あらぬ動きをしているようだけど、やめろ!
親会社から、一言いけば、君のクビなんぞ、すぐ飛ぶぞ!」と、脅しというよりは、脅迫だ。
ひかるは、承知しましたと、そこを出ると、すぐさま「開発に拍車をかけるべし!」とソニーへ電話したのである。
夜は一人でいつもと違う焼き鳥へ行き、じっくり考えた。
業界全体を考えるべき立場の人が、自分のメンツばかり考えやがって、なんてケツの穴のちっちゃい奴だろうと、情けなくなった。
「ひかるの首を、袈裟掛け、みじん切りにしたとて、一文の得にもならない、やるんならやって見ろ!」と怒りが込み上げて来た。
ひかるは、今まで以上に、意地でもなんとかしてやろう、と固く誓ったのである。
1086 ノーベル賞 [恋愛・結婚]
日本の映像技術の原点にはノーベル賞が絡んでいた。
当時CCD搭載カメラとオメガ方式VTR。BVH-500の電源にリチューイオンBP-90バッテリーが使われアメリカでは想像不可能。
デジタル先進国アメリカがどうしても日本に勝てなかった訳である。
更にビデオ編集にはとんでもないアイディアが組み込まれていく。
電車の線路と枕木、スピード串刺しが編集に使われたのだ。
線路を見て分かると思うが等間隔に枕木がある。
ビデオで言うとその枕木がワンフレームという事だ。
一秒間に30フレームだが枕木が30個あると思えば良い。
ねるとん求婚番組ではロケカメラ VTRを常時四チエーン使っていた。
30分テープを装着し同時スタート、ガチンコ映像を4台とも入れ止めない状態でそのまま30分間4台のカメラVTRが動き回って収録。
これでワンロール終了、ツーロール、スリーロールも同様にして収録していく。
編集時に、再生に4台、収録に1台、計5台を用意しVTR映像を列車に見立て、5台共真横から串刺しに固定、回転をロックする。
もちろん枕木、いわゆるタイムコードも横一列にロックさせる。
ガチンコ映像をそろえ、串刺しにした映像列車を同時にスタートさせ、記録されている4台の映像を5代目の編集テープに平行移動していくのだ。
再度ガチンコの映像に戻しスタートさせ、編集テープに黒味があれば埋めていけばいい。
モニターは大きめのモニターを4分割し再生映像4台の画を5台目の編集VTRへ嵌め込んで行く。
上に編集用のモニターを乗っけておけば、編集が今迄の編集では考えられない、とんでもないスピードで簡単に出来る。
勿論、今では線路を5本6本なんて言わずに30本50本なんて発想も出来る。
ひかるは世界初のVTR編集センターを稼働させたがその原点は上記の電車と枕木、串刺しの発想が40年前に有ったのだ。
日本の映像王国には編集面で革新的な知恵が使われました。
映像クリエイターやユーチューバー等の分野を目指す人は参考にして下さい。
技術的な事はソニーとリンクし、VTRと編集システムを同時に発売すると飛ぶように売れ、必然的に日本の放送VTR方式、ひいては世界のVTRが日本のオメガ方式VTRで独占された。
ひかるは当時、150人の部下を抱え、ドラマや音楽番組、スポーツやバラエティー、海外ロケから水中撮影、カメラや音響、照明などのスタッフ手配、番組内容把握、目の回る忙しさだが、それと並行して、編集システムの開発だ。
連日連夜、仮眠状態である。
そして編集システムが完成した頃、東宝から連絡があり、昼のメロドラマを日本製一インチVTRで制作し、放送しようとの話が持ち込まれた。
東宝、フジテレビ、ひかるによるプロジェクトが始動したのである。
もちろん、バックには、ソニーとひかるの連係プレーがしっかり出来ている。
世界初、一インチ編集システム、一インチVTR帯ドラマの放送が実現したのである。
その間、ひかるの行動は、死闘の二乗と言えるだろう。
昭和54年、1月から放送された昼メロVTR帯ドラマ{津軽海冬景色}は、世界初一インチ収録編集、業界に衝撃を与えた。
1085 デジタル編集 [恋愛・結婚]
このデジタル編集方式はソニーのオメガ方式とセットで発売されあっという間に世界制覇、
VTR産業で世界を席巻していたアメリカアンペックス社は完敗したのである。
このサイトは10年も前に立ち上げられましたが、当時から個人放送局という名称を使ってます。
現在ユーチューバーやビデオクリエイターなどという言葉をよく耳にします。
10年前このサイトを見ていち早く個人放送をやっていれば今頃はかなりヒットしていたのではないだろうか。
テレビの世界では40年以上も前から、ブルーバックにし、ブルーを抜き取りビデオ信号を合成するクロマキーという技術が使われて来ました。
もしも貴方が歌手だったとしましょう。
音楽のスタート10秒前に爆竹の音を入れて録音しておきます。
ブルーバックの前でそのオーディオで演技をします。激しい動きであったりダンスであったり。
それをカメラ二台で録画し、音楽が終わるとまた前の爆竹のところにスタートを合わせ再度動作を録画します。
カメラのアングルやズームを変化させ十回ほど同じ事を繰り返し録画。
結果ブルーバック合成で20種類のビデオが出来上がります。
それを21のレールに見立て、上記の通り枕木をロック、列車を横から串刺しにし、21種類のフレーム画を平行移動させて編集。
完成ビデオを5,6種類作ります。これで貴方は素晴らしいユーチューバースターになれるでしょう。
多重録画と多重編集、簡単に出来ます。参考にしてみてください。
当時、ひかるは部下を毎年アメリカ偵察へ出張させ、アメリカの映像情報は逐一把握していた。
そして、開発の途に付いたばかりのオメガ方式をソニーへ乗り込み、数年の間にオメガ方式に決定。
命を懸けたその間の裏話などは、数冊の本になるくらいであるが、ここでは割愛する。
方式が確定すると、映画界、VTR産業、CM産業、放送業界は一気になだれ込んで来たのである。
東洋現像所は現IMAGIKAを設立、ボウリング場を借り切り電子編集を主にフイルムから変換して行った。
納入されたオメガ方式機種はBVH-1100だが、ひかるはその前のBVH-1000で電子編集を試みていた。
しかしひかるにはもう一つテーマがあった。
ロケ技術の遅れでクイズやワイドショーなどスタジオ中心の番組内容に、何とか外の映像を茶の間に届けたい、という夢だ。
これもタケシの元気が出るTVやねるとん紅鯨団などで実績を作り一段落した頃、ひかるはやおらアメリカ偵察へ出かけた。
ロスの知人と数十年ぶりに会う事にしたが、アメリカ人を同伴して来た。
一段落すると、その米人がひかるの隣へ来。
貴方を日本へ帰す訳にはいかない、としゃべり出した。
何が何んだか訳が分からない。
よく聞くと、これからメディアを買収する。
だから貴方にはその放送局をやって貰いたい、と言い出したのである。
日本では無名のひかる、あのNASA開発の超精密機械をあっと言う間にこの世から抹殺。
世界初の電子編集システムを稼働させた男としてマークされていたようだ。
このアメリカ拉致事件以後、ひかるの渡米は抹消。
1084 枕木 [恋愛・結婚]
新しいテープ50本なり100本を録画モードで先にタイムコードを手作業で記録する。とてつもないアナログ作業である。
そのテープを現場へ持ち込み記録されたタイムコードと同期をさせながら録画して行く。
編集時も編集用記録テープにも先にタイムコードが入っているので、再生VTR 4台なら4台と記録VTR計5台を完全にタイムコードをロック、同期させればよい。
そのような事を考え実行した人は誰もいない。ひかるは平気で実行、世界初の電子編集が実現したのである。
更にアイディアが重なる。
手作業のタイムコード入力作業、時間ロスを無くす方法を考えだした。
VTRストップ時、ストップボタンを押すと画像はその時点で無くなり黒味、しかしタイムコードをそのまま30フレーム記録し、そこで止める。
止めたところから30フレーム戻し、最後の画像のところでスタンバイを掛けておく。
次の録画時はタイムコードは既に記録されており、前の画像が無くなった所から画像を嵌め込み、30フレームの間に完全にロックさせればよい。
この作業、操作する人が全く気が付かない。機械的にそう成っているのでおそらく皆さんも全く知らなかった事でしょう。
この技術がホームビデオにも採用されアメリカが日本の真似をしようとしても出来なかったのである。
編集時には更にとんでもない多重編集アイディアが出た。
映像信号は1秒間に30枚、 10分間で1万8,000枚、この中から1枚単位で取り出しコピーする、これが電子編集である。
アメリカ方式だと定規を当てカミソリでカットして行く。
デジタル先進国のアメリカですら出来ない電子編集をどうやって日本で出来たのだろうか。
基本は前記した通りデジタルとアナログのチャンプル方式、更に枕木と列車の関係アイディヤが出て来る。
多重編集と呼んでいるが、実際に「ねるとん紅鯨団」でこの技術が使われた。
ロケの時にカメラとVTR4台を対にしてスタート後ガチンコを入れそのままテープが無くなる迄録画。
編集時に4台、ガチンコの所で同時スタートをさせ、5台目の編集用VTRに4台の映像を平行移動させれば編集が出来上がる。
これが多重編集という事になるが、問題なのが同期の問題だ。
電車のレールを思い出してください。再生用VTR 4台と編集用VTR 1台、合計5台の線路、5線路を想定。
枕木を横に1秒間に30個単位で横に連結同期させる。
レール上の電車を5台とも横から串刺しにする。
通常再生状態で再生4台から編集VTRに列車上で画像を平行移動して行く。
要はその状態で5台目の編集テープに隙間が無く移動できれば編集終了。
この電車、いわゆるVTRテープと枕木を同期させ、更に電車を横から串刺しにする、この状態で画像を平行移動させれば大成功です。
世界初の電子編集、デジタル編集はこの発想で完成したのです。
35年前日本ではデジタルという言葉すら馴染まない時代でした。
アメリカから見れば、デジタルが何かも解らない日本に超ハイテク電子編集が出来るはずがない、が常識だったでしょう。
手作業のアナログで何ん百万ものデジタル信号を綺麗に寸分の狂いない台座を作りデジタル作業を行う、更に枕木が登場、日本国内でも有り得ない事が起きたのです。
1083 カミソリ編集 [恋愛・結婚]
当時TV局で給料も良く一級技術者ともてはやされたのは剃刀の使い方で決まった。
美容師、床屋マン同様何種類ものカミソリを研ぎ顕微鏡で確認、磁気鉄粉の合間を見事に削除し細かくセロテープ状のもので張り合わせる。
下手な奴がやると高速で巻き戻しストップすると瞬時に破断NG、放送事故になる。
特に野球やスポーツ中継番組などベテランが必要だ。
ひかるも挑戦したが子供のころから畑仕事で指はゴツゴツ磁気面を顕微鏡で捌くのは無理だった。
NASAとアンペックス開発のVTR記録は2インチ幅が使われていた。幅5センチ以上のテープ。ワンフレーム事縦に一本線記録だ。
上記の通り剃刀が必要だ。
日本方式は1インチテープで密度を上げるため縦1本ワンフレームではなく、記録を斜めに記録しアメリカ方式に挑戦。
当然カミソリ編集は不可能。
さて電子編集誰もやった事がない。コンピュータもラックに基盤を嵌め、自作するしかなくバグとの闘い。
記録方式もフロッピーディスクも無い時代、紙テープにパンチ穴でのデータ記録方式。
ひかるはとんでもない知恵を出した。
それはデジタルとアナログをごちゃまぜにするというデジアナチャンプル方式で、更に多重編集を路線と枕木同期方式を実践するのである。
VTRには映像トラックと音声トラック更にタイムコードトラックを設け一秒間に30枚、ワンフレーム単位でタイムコード、所番地を記録していく。
その所番地でストップスタート等の制御を行い、更にワンフレーム単位で映像を抜いたり嵌め込んだりする事である。
当時の日本のデジタル技術では一秒間に30枚単位のタイムコード記録、呼び出しが無理であった。
ひかるは何をやったかというと、録画時に新テープに先にタイムコードのパルスを手作業で全編記録してしまう方法である。
収録時には既に最後までタイムコードが手作業で記録済みのテープに画像一枚一枚を嵌め込んで記録、という事である。
ホームビデオで子供の運動会を映像記録すると、ストップスタートを繰り返す。
再生すると必ずストップスタートした所で画面がビローンと一枚流れてしまう(昔の話)。
前と後の画像が同期していない為、当然で解決不可能だ。
ところがテープに最初から最後まで同期信号を先に記録しておき、画像を嵌め込んでいく編集スタイルなら同期が取れて流れる事は無い。
その原理が電子編集という事になる。タイムコードをアナログで記録、このアイディアで世界初のデジタル編集完成。
1082 方式論 [恋愛・結婚]
α方式とω方式の図で解るようにグリーンのヘッド部分を一回りしているのがα方式でω方式は交差していない。
テープ幅は2、5センチあるのでα方式の場合ヘッド部分のテープ交差を考えると、かなり長くする必要がある。
図緑のヘット部分、缶ビールのロング缶を想像して頂きたい。
なおかつ送り側と巻き取り側のリールにかなり奥行き、いわゆる前後の段差をつける必要がある。
送り側と巻き取り側のリールにも角度をつける必要がある。
ソニーが提唱するオメガ方式は平面でヘッド部分はロング缶状にする必要は無い。
将来的にテープスレーディングを自動化、又はカセット化する方法もオメガ方式なら考えられる。
ひかるは将来的な事を考えオメガ方式採用に行動を起こすのである。
流れでα方式に決定すると、いずれアメリカがα方式の欠点をカバーしたオメガ方式に近い方式で日本に迫って来る事を恐れたのである。
当時の放送局はフイルム素材が溢れ保管場所に倉庫を次々と契約するが間に合わない。
著名人が亡くなりライブラリーを探すがフイルムでは見つけるのが困難。
高速回転出来ないのがフイルムの最大の欠陥である。
ライブラリーに行き詰った局はアルファでもオメガでも、どれでも良い。
ω方式の20分テープより2時間テープのα方式が当然。α方式導入を疑問視する人は一人もいなかった。
しかし録画時、台本を5、6ロールに分割録画。出演者の都合でロール別にリールを何度も中途で架け換える。
将来のカセット化や使い勝手を考えると、交差のアルファは大きな欠点、オメガ方式になる。
ひかるはオメガ方式開発拠点であるソニーの厚木工場へ乗り込む。
駅前はだだっ広い田んぼと畑だらけ。倉庫のような建物があり、その中で20代後半の若者が5、6人オメガ方式を開発していた。
ひかるはまだ沖縄なまりが取れず、着ている服はオンボロ、名字は見た事もない沖縄名字。
訳の分からない、打倒アメリカが迫って来るだの、チンプンカンプンである。
うさん臭い奴 しーしーと追い払いたいところだろうが、年配の人が黙って聞いている。
話が終わると、訛りが気になったのか、ご出身は、と聞かれたので、沖縄であると言うと、握手を求め分かりました一緒にやりましょう、と言ってくれたM部長である。
開発は想像を絶するスピードで進み、あれよあれよという間にソニーのオメガ方式は世界制覇、ニ年後畑に倉庫の如き拠点は見事な巨大な総二階建ての近代的なコンベヤ工場、後にM部長は副社長になったのである。
当時、最初にどうしてもクリアしなければならない問題はテープにカミソリを使って繋ぎ編集するアメリカ方式ではなく、ワンフレーム単位で抜き取り貼り付けていくいわゆる電子編集が出来るか出来ないかが成否を分けるポイントだと見ていた。