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s1081 風葬

亀甲墓は子宮の形をしており、命は子宮で育まれ、完うしたら、またそこへ戻ると言われ、入り口は80センチほどの四角い、入り口になっており、勿論、蓋は、ぶ厚い四角の石で覆われ、空気が外へ漏れないようになっている。
風葬と呼ばれる方式で、遺体は決して焼かない、また、西洋のように埋めるような事もしない。
棺のまま墓へ入れ、肉体が風化したころ、きれいに洗骨し墓の中に収めるのである。
遺体を棺のまま墓の中へ入れるため、異臭が漏れないよう、密閉出来るようになっているのである。
勿論、洗骨は赤の他人ではなかなか出来ないものである。
ひかるも、両親が亡くなったとき初めて、小さな入り口から腹ばって中へ入ったが、暗闇の周りは、こうべと骨だらけ、足の踏み場も無い。
しかし、先祖であり、血の繋がったこうべだと思えば、なんとか佇んでいられた。
赤の他人だと、どうしても恐怖心で、その空間には、いられないだろう。
もしかして入り口が、何らかのかたちで塞がってしまへば、もう2度とそこからは出れない。声を出しても、絶対、届かない。
そういう意味で、全く他人はそこへ入れないという事だ。
墓の中のスペースは、先祖代々のお骨が保存出来るスペース、そして、棺を入れ、入れた人が入り口から出るスペースも必要だ。
よって、かなりの空間が必要で、先祖代々の血族が一つ屋根の下で祀られるのである。
大きな亀甲墓を作る事は大きなエネルギーが必要で、罪を犯せば墓に入れてもらえない。
という事は最大の屈辱であり、悪事に対する抑止力は、墓だったという。
ちなみに墓の入り口を開けるのは、遺体を入れる時以外は、決して開けてはいけない。
どうしても分骨したり、墓の中のお骨を取り出す場合は、鶏など、生贄にて代わりの儀式を行い、開ける必要がある。
日本に、風葬をする人種がいたという事である。
北海道のおばちゃん***島の民宿では、夕食後、泡盛がただで振舞われる。
中庭の大きなテーブルで、星空を眺めながら、お互い自己紹介をし、観光客は談笑。
ふらりとその輪の中へ入っていくと、島の人だという事で、話を聞きたく、周りに集まってくる。
北海道から来たという、60歳過ぎのおばちゃんが、早速、隣へ割り込んできた。
きれいな星空、空気がおいしい、生まれて初めての体験だと、かなりハイになっている。
こんな素晴らしい島で生活出来たらいい。なんとか移住したいので、土地を譲ってくれる人はいないか、との相談だ。
出来ない事はないと言うと積極的に色々な質問をしてきた。
話の内容から、かなり融通の利かない教員か公務員上がりのガチガチな堅物の類、箱入りババーだ。
こんな人に土地を分ければ、住民と間違いなく争いを起こす。
島の人達はテーゲーグワーで、いい加減と言うかあまり小さな事にはこだわらず、のんびり生活をしている。
島人と争いをお越し、後々嫌な思いをするので、この人の相談にだけは乗らないようにしようと心に決めていた。
その内、ひょんな質問をしてきた。
この島に、蜘蛛はいるのですか?・・
はぁー? と思わず聞き返す。
蜘蛛はいっぱいいるし、毒は持ってないが森へ行くと大きなやつもいるよ、と言うと、ギヤアーと血相変えた。
蜘蛛は嫌いどころか糸が体に触れただけで蕁麻疹が出来ると言う。
民宿のベランダでも糸を張っているし、島を散策すると間違いなく糸に触れるよ、と言うと顔面蒼白、わざと嫌がる事を言って脅かしているのではないかと、毛嫌いするというか嫌悪感あらわに出し、睨み付けている。
芯から蜘蛛が嫌いで、アレルギーのようだ。
隣にいるのも嫌になっただろうか、席を移していった。
その話を聞いていた他の観光客が、そのおばちゃんを説得。
日本全国蜘蛛のいない所はない。あなたは、まかり間違っても、田舎暮しなど、考えないほうがいいと言われ、渋々、納得したようだ。
このおばちゃん、島で連泊するつもりだったらしいが、翌日、早々に引き払ったと言う。
次は西表島観光だと言っていた。あの島は、毒はないが、大きな蜘蛛がもっといっぱいいる。
デッカイ蜘蛛が首に貼り付き、アワを吹き吹き、失神する姿、目に目えるわ・・
その人は北海道だと言う。
おーい北海道〜  蜘蛛いないか??
強制移住***南端に浮ぶ周囲12キロ、ハート形の黒島には、遠い昔、溢れんばかりの人口があり、一大文化圏を形成していたという説がある。
ある説によれば、人口1万人はいたであろうという人もいる。
真意の程は定かでないが、1700年、鳩間島へ60人が強制移住、3年後には更に500人が強制移住させられたという記録が残っている。
その記述が本当ならば、島の住人は千人や二千人ではなく、一万人説もおかしくない。
それ以降も、石垣島等へかなりの人が強制移住させられたという。
1500年代からは600年代にかけて、日本では武士が勢力争いをしていた頃、この島は、幸せで豊かに、文化を謳歌した人たちがいたと思われる。
島には、特に豪族らしきものは無い、また貨幣なるものも見当たらない。
人々は、物々交換、海から獲れる膨大な魚介類、御嶽を中心に、お互いの門中が、仲良く生活していたと思われる。
島には人が溢れ、耕作地を岩の上まで広げたという、その痕跡は今でも残っている。
岩の上に出来る作物など、あるはずがないと思って、古老に聞くと、事もなげに、粟なら十分作れるとの事だ。
言われてみれば、60年前、島には粟が野生化し、野生のウズラがたくさんいた。
ウズラの卵、仕掛けでウズラを捕らえて、食した事を思い出す。
また、御嶽は今でも十数カ所残っている。直径1キロちょっとの島に、本土では考えられない、十数カ所の御嶽の跡が残っている。
沖縄本島にある御嶽は、久高島に島々を作った神様が、降り立ったという事で、久高島を向き、御嶽信仰が行われているという。
しかし450キロ離れたこの島には、そのような信仰は全く無関係だ。
理解出来ないのは、島の十数カ所の御嶽は、それぞれ、方向がバラバラで、統一されていない。こんな小さな島で統一されな疑問、不思議である。
御嶽は本土でいうお寺みたいなものだが、2キロ未満の空間に、これ程のお寺なり、御嶽があるような地区はないだろう。
この島を調べていくと、不思議な事だらけだ。
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